パーティーから生まれた社交術

私の提唱する、広く浅い社交術と深い関係のある、パーティーの話。20年前ほど前、仕事でクリスマスパーティーのプロデュースを依頼された。

 その会場はラグジュアリーなレストランで、週末はレストランウェディングを中心に行っていきたい、とのこと。地元でのイベントの成功経験がある私に白羽の矢が。しかし、今までのイベントの違い、パーティー、という初めて取り組むジャンル…

 「パーティー」という言葉は巷にあふれていた。しかし僕たちの身近にあるパーティーといわれるものは、クラブイベントであったり、お見合いパティー、ウェディングパーティーだ。レストランで、オープニングを祝うノリとしては、少し違う。一番近いのはDJとかをいれたクラブイベントかもしれないが、オーナーが求めるものとは少し違う。

 結果、そのパーティーはおしゃれな美容サロンの友人や、服屋さんが協力してくれて、100人ほどが集まり、良いムードで終わったのだが…

 そこで、私が呼んだ友人の一人が、こんなことを言った。「パーティーって何をして良いかわからない。そもそも何のために集まったのかよくわからない」

 は!っとした。私もわからなかったからだ。本質的なところを見落としていた。そして、私と同じように、パーティーという言葉はよく使うけど、本質的な何かを見落としている方や、会社は相当数いるのではないか。パーティーという何となくおしゃれに感じる欧米文化の上辺だけを真似てきたのでは…

 そこから、本を買ったり、海外帰りの人から話を聞いたり、の期間を経て、やっとわかった。

 パーティーは「社交」の場だ。ごくごく当たり前の結論に達したのだが、実際日本で行われているパーティーには、社交の要素が弱い。社交は「人と人とのつきあい」の意味であるが、なぜ社交の要素が弱いと思うのかというと、我々日本人はほおっておけばパーティーで知らない人とは話さないからだ。ウェディングパーティーでも、新郎側の会社の方、友人、新婦側の会社の方、友人、親戚、親族、全てテーブルが分かれていて、よほど社交的な方でないと、自分の知らない人とは関係を持とうとしない。だとすると、みんなで集まる必要性がないのではない、とも思えてしまう。

 ホームパーティーに慣れている(例えばアメリカ人の方)がそこに来ると、場は一挙にパーティーっぽくなる。彼らはパーティーで直接知らない人に話しかけるからだ。

 結局、パーティーの最大の演出は人が醸し出す「パーティーっぽい雰囲気」だとわかった。それ依頼、私はそれを再現し続け、多くの人から喜んでもらっている。そして今、それをもっと広げたい、と思っている。パーティーは広く浅い社交術を身につける最高の場だ。でも日本の普段の生活ではそのような場はあまりない。このブログの中で簡単にあなたがパーティーを始められる手法を記していきたい。

 

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